【滋賀】立木観音はなぜ800段の上に?弘法大師と「白い鹿」の伝説&最強の厄除けパワー

立木観音 奥の院画像 滋賀秘境の社寺巡り

【重要なお知らせ】この記事にはプロモーション(アフィリエイト)リンクが含まれています。

瀬田の風景画像

こんにちは。
前回は、800段の石段という「肉体の試練」についてお話ししました。

でも、息を切らして登りながら、ふと疑問に思いませんでしたか?

「なんでまた、こんな険しい山の上にお寺を建てたの?」

車も重機もない時代。
資材を運ぶだけでも命がけだったはずです。
それでも、ここじゃなきゃダメだった理由があるんです。

時は平安時代、今から約1200年前。
一人の高僧が、瀬田川のほとりで立ち尽くしていました。
彼の名は「弘法大師(こうぼうだいし)・空海」

立木観音 弘法大師画像

目の前には渡ることもままならない激流。
彼が諦めかけたその時、対岸の森から「不思議な光」を放つ生き物が現れました。

 

「白く輝く、一頭の鹿」

この出会いが、全ての始まりでした。
この記事では、立木観音に伝わる「奇跡の伝説」と、なぜここが関西屈指の「厄除け霊場」と呼ばれるようになったのか。
その神秘的なルーツを紐解きます。

800段の石段は、ただの道ではありません。
あなたを伝説の目撃者にするための、プロローグだったのです。🦌✨



🦌 激流の瀬田川と、奇跡の「白い鹿」

立木観音 弘法大師画像

平安時代、諸国を行脚していた弘法大師(空海)は、この瀬田川のほとりで立ち往生していました。
目の前は、渡ることを拒むような激流。
しかし、対岸の山からは、ただならぬ「霊気」が漂っています。

「あの山には、何かがいる……」

空海が一心に祈りを捧げたその時、突然、川の中から一頭の「白い鹿」が現れました。
鹿は空海を背中に乗せると、まるで飛ぶように激流を渡り、険しい山を駆け上がっていったのです。

そして現在の本堂がある場所で、鹿はこつ然と姿を消しました。
代わりにそこに立っていたのは、光り輝く「聖観音(しょうかんのん)」の姿でした。
そう、あの鹿は観音様の化身だったのです。


🌳 木を切らずに彫る。「立木(たちき)」の名の由来

立木観音 弘法大師画像

この奇跡に感銘を受けた空海は、ある決断をします。

「この霊木に、観音様の姿を刻もう」

普通なら木を切り倒して彫るところですが、空海は違いました。
「根を張ったまま、生きた木にそのまま彫る」
これこそが、この寺が「立木観音(たちきかんのん)」と呼ばれる所以です。

現在のご本尊も、もちろんこの時に彫られたもの(秘仏)。
大地に根を張り、1200年間生き続けている木の中に、観音様がいらっしゃる。
そう考えるだけで、生命力の凄まじさを感じませんか?


🔥 なぜ「厄除け」最強なのか? 42歳の空海の祈り

立木観音が「厄除けの寺」として絶大な信仰を集める理由。
それは、この伝説が起きた時、空海自身が「42歳の大厄」の年だったからです。

空海は、自分自身の厄難を払い、未来の衆生(私たち)を救うために、全身全霊でこの像を彫り上げました。
つまりここは、あの弘法大師が「自分の厄を落とすために本気を出した場所」なのです。

  • ご利益: 厄除け、開運、心願成就。
  • ポイント: 800段の石段を登る行為そのものが「修行」となり、厄を落とすと言われています。

🙏 さらに奥へ…。「奥の院」の究極の静寂

立木観音 奥の院画像

本堂で満足して帰ってはいけません。
さらに裏手へ進むと、少し険しい道があり、その先に「奥の院」が鎮座しています。そんなに距離はないので是非行ってみて下さい。

ここは、空海が修行をした場所とも言われる聖域。
お茶所の賑わいが嘘のように消え、聞こえるのは風が木々を揺らす音だけ。

「あ、ここだ」

理屈ではなく、直感で「気がいい」と感じる場所。
800段登った疲れが、ここで完全に浄化されるのを感じるはずです。


まとめ 🗺️

旅の終わりに:伝説の上に立っている

いかがでしたか?
あなたが息を切らして登ったその道は、かつて白い鹿が空海を乗せて駆け上がった道。
そして、目の前の観音様は、生きた木の中に今も息づいています。

【最終チェック】
足の痛みは数日で消えますが、ここで頂いた「気」と「ご利益」は、きっとあなたを長く守ってくれるはずです。
(あと、お茶所で頂いたお茶の温かさも忘れずに!)


👑 立木観音の旅を完璧にする!

厄を落としてスッキリしたら、次は「お腹」を満たしましょう。
立木観音の近く、瀬田川沿いには、景色も味も最高なグルメスポットや、隠れた温泉宿があります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました