【石の寺】教林坊の歴史と小堀遠州の庭園美。聖徳太子が教えを説いた「侘び寂び」の聖地

教林坊 全体画像 紅葉 滋賀秘境の社寺巡り

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教林坊 苔画像

こんにちは!教林坊(記事1を参照!)の、あの巨岩と苔に覆われた静寂な世界、もう体験されましたか?

「石の寺」と呼ばれるだけあって、境内に入った瞬間、空気感がガラッと変わりますよね。まるで、数百年前にタイムスリップしたような感覚…。

でも、ちょっと不思議に思いませんでしたか?
「こんな山奥に、なぜこれほど立派な庭園があるの?」
「聖徳太子が作ったって本当?」

実は、この教林坊は、聖徳太子が仏教の教えを説いた場所であり、江戸時代には天才作庭家・小堀遠州(こぼりえんしゅう)の手によって、石と自然が調和する名勝庭園へと生まれ変わった、まさに奇跡の聖地なんです。

この記事では、教林坊が「侘び寂び(わびさび)の極致」と呼ばれる理由や、白洲正子も愛したという苔むした石組みの秘密を徹底深掘り!

ただ美しいだけじゃない。石の一つ一つに込められた物語を知れば、あなたの教林坊参拝は、一生忘れられない心の洗濯になりますよ。

【聖徳太子の伝説】教えを説いた「林」と「坊」の由来

教林坊 境内画像

推古13年の創建!教えが林のように広がる場所

教林坊の歴史は、なんと飛鳥時代(推古13年・605年)にまで遡ります。創建したのは、あの聖徳太子です。

太子がこの地を訪れた際、巨岩の不思議な力に導かれ、この場所で仏教の教えを説かれました。その教えを聞くために人々が集まり、まるで「林」のように賑わったことから、「教林坊(きょうりんぼう)」と名付けられたと伝えられています。

巨岩信仰と本尊・赤川観音

本堂の裏には、教林坊のシンボルとも言える巨岩がそびえ立っています。この岩は、太古の昔から磐座(いわくら)として信仰されてきた聖域です。

ご本尊は、聖徳太子がこの岩から掘り出したとされる「赤川観音」。通常は秘仏ですが、この岩と一体化した信仰こそが、教林坊の持つ底知れぬパワーの源泉なのです。


【名勝庭園】小堀遠州が作った「侘び寂び」の極致 🍂

教林坊 全体画像 紅葉

 

石と苔が織りなす「桃山時代の美」

教林坊の庭園は、江戸時代初期の天才作庭家・小堀遠州(こぼりえんしゅう)によって作られたと伝えられています。

遠州の庭園の特徴は、人工的な美しさではなく、自然の地形や岩をそのまま活かすこと。教林坊の庭園も、背後の巨岩を借景とし、苔むした石組みと紅葉が一体となって、息をのむような「侘び寂び(わびさび)」の世界を作り出しています。

白洲正子が愛した「かくれ里」

随筆家・白洲正子(しらすまさこ)も、著書『かくれ里』の中で、教林坊の静寂と美しさを絶賛しています。「石の寺」と呼ばれる所以である、苔と石の調和は、見る人の心を静かに、そして深く癒やしてくれます。

掛軸庭園と水琴窟の音色

書院から眺める庭園は、まるで一幅の掛軸(かけじく)のような美しさです。また、庭の片隅にある水琴窟(すいきんくつ)からは、澄んだ水音が響いてきます。

耳を澄ませてその音を聞く時間は、まさに「心のデトックス」。日常のノイズを忘れ、純粋な音と景色だけに没頭できる贅沢な空間です。


【茅葺きの風情】江戸時代のたたずまいを残す書院

教林坊の魅力は、庭園だけではありません。江戸時代に建てられた茅葺き(かやぶき)屋根の書院も、重要な文化財です。

この建物は、もともと麓にあった民家を移築したもの。質素ながらも趣のある佇まいは、「わび・さび」の精神を体現しており、庭園の美しさをより一層引き立てています。縁側に座り、時間を忘れて庭を眺めるのが、教林坊での一番の過ごし方です。


まとめ:石と苔の聖地で、心を「空」にする

教林坊 ライトアップ紅葉画像

お疲れ様でした!教林坊は、聖徳太子の伝説小堀遠州の美学、そして白洲正子が愛した静寂が重なり合う、滋賀でも特別な「隠れ里」だと分かりましたね。

【最終チェック】 巨岩のパワーを感じ、苔むした庭園で心を空っぽにする。そんな贅沢な時間が、あなたの明日への活力を養ってくれるはずです。


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