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こんにちは。
前回(アクセス・基本情報)は、ナビの罠を回避してたどり着く、静寂の「柏木神社」をご紹介しました。
杉の巨木に囲まれた境内で、ひと際目を引く看板を見つけませんでしたか?
そこには、こんなクイズが書かれています。
Q. 戦国時代には多くの戦国の覇者を重用していました。次のうち、『黒脛巾組(くろはばきぐみ)』と呼ばれた忍者を重用したのは誰?
「えっ、甲賀忍者じゃないの?」
そう思ったあなた、鋭いです。
実はこの神社、単なる地元の氏神様ではありません。
かつて甲賀忍者(甲賀衆)たちが集まり、地域の自治と結束を誓った「リアルな会議室(鎮守の杜)」なのです。
そしてもう一つ。
この神社には、あの織田信長によって「持ち去られた」幻の楼門の伝説が残っています。
この記事では、看板のクイズの答え合わせと共に、柏木神社に秘められた「甲賀忍者の絆」と「信長との因縁」を深掘りします。
静かな森の中で、戦国の世に思いを馳せてみましょう。🥷📜🔥
目次
🤔 看板クイズの答え合わせ。「黒脛巾組」とは?
まずは、境内の看板にあったクイズの答え合わせからいきましょう。
「黒脛巾組(くろはばきぐみ)」という忍者集団を使っていた戦国大名は誰か?
正解は……③ 伊達政宗 です!
「あれ? 甲賀の神社なのに、なんで伊達政宗?」
そう思われたかもしれません。
実はこのクイズ、「戦国大名はこぞって忍者を重用していた」ということを伝えているのです。
(ちなみに武田信玄は「三ツ者」、上杉謙信は「軒猿」などが有名ですね)
では、甲賀忍者は誰に仕えたのか?
実は彼らは、特定の一人に絶対服従するのではなく、「惣(そう)」という自治組織を作り、合議制で動いていたのです。
その「リアルな会議」が行われていた場所こそが、ここ柏木神社なのです。
🌲 甲賀衆の「リアル会議室」。神前での結束

看板に書かれた「甲賀衆結束の鎮守」という言葉。
中世の甲賀では、地元の土豪たちが「同名中(どうみょうちゅう)」というチームを組み、神社で神水を飲んで団結を誓い合いました(起請文)。
「裏切り者は神罰を受ける」
そんな張り詰めた空気の中で、戦の相談や地域のルールを決めていたのです。
今私たちが感じている境内の静寂は、かつての武士たちが真剣勝負で向き合った緊張感の名残りなのかもしれません。
🏯 信長様、ここでも…? 消えた楼門の行方

そして、もう一つの大きなミステリー。
柏木神社にはかつて、立派な「楼門(ろうもん)」があったと伝えられています。
しかし現在、その姿はありません。
どこへ行ったのか?
犯人は……織田信長です(笑)。
伝承によると、信長が安土城を築く際、柏木神社の楼門を解体して持ち去り、安土城の総門(現在の摠見寺・仁王門)として移築したと言われています。
🔥 焼かれた寺、奪われた神社
以前ご紹介した妙感寺は、信長の兵火で「焼かれ」ました。
一方、柏木神社は建物が立派だったために「奪われ」ました。
どちらにせよ、信長公の「いっちょかみ(影響力)」の凄まじさを感じずにはいられません。
👇 あの門はここにあった!? 移築先の「摠見寺」を見る
信長が持ち去ったとされる楼門(仁王門)は、今も安土の地で国指定重要文化財としてその姿を留めています。
「これが元々ここにあったのか…」と想像しながら記事を読み比べると、歴史のロマンが繋がります。
滋賀旅の計画ツール
📚 柏木神社・歴史データファイル
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 歴史 | 中世より甲賀郡中惣の結束の場として機能 |
| 文化財 | 木造随身倚像(平安時代・国指定重要文化財) |
| 信長伝説 | 楼門が安土城(摠見寺仁王門)へ移築された伝承あり |
【当ブログ独自評価】歴史ロマン度スコア
歴史ロマン度:★★★★★ (5.0/5点)
【専門家歴史分析】
「伊達政宗の忍者クイズ」から入り、「甲賀衆の結束」を知り、最後は「信長による略奪」へ。
この神社は、ただ静かなだけでなく、戦国時代の重要なピースが埋まっています。
安土にあるあの立派な仁王門が、かつてはこの杉林の中にあった……。
そう想像するだけで、鳥肌が立つほどのロマンを感じませんか?
まとめ 🗺️
旅の終わりに:点と線が繋がる快感
いかがでしたか?
甲賀の隠れ里にある柏木神社。
その歴史を紐解くと、伊達政宗や織田信長といったビッグネームと繋がっていることに驚かされます。
【最終チェック】
歴史でお腹いっぱいになった後は、実際のお腹も満たしましょう。
柏木神社のすぐ近くには、これまた隠れ家的な名店があります。
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