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広大な境内を持つ三井寺(アクセス情報は記事1へ!)。その静かなお堂の中に、傷だらけの鐘が置かれているのをご存知ですか?
それは、あの豪傑・武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)が、比叡山まで一人で引きずって持ち去ったという伝説が残る、「弁慶の引き摺り鐘」です。
なぜ、弁慶は鐘を盗んだのか?そして、なぜ鐘は三井寺に戻ってきたのか?
この記事では、三井寺に伝わるユニークな伝説と、日本三名鐘の一つとして名高い「三井の晩鐘」の音色の秘密を徹底深掘り!歴史を知れば、境内に響く鐘の音が、より深く心に染み渡るはずです。
目次
【伝説】弁慶の怪力と「イノー、イノー」と泣く鐘 🔔

比叡山へ連れ去られた鐘の悲劇
平安時代末期、三井寺と比叡山延暦寺は激しく対立していました。そんな中、怪力で知られる僧兵・弁慶が三井寺に攻め込み、なんと梵鐘(ぼんしょう)を奪って比叡山へ引きずり上げてしまったのです。
現在、霊鐘堂(れいしょうどう)に安置されている鐘には、その時に付いたとされる無数の引き摺り傷が残っています。実物を見ると、その荒々しさに圧倒されますよ。
鐘が「帰りたい」と泣いた!?
比叡山に着いた弁慶が「一撞(ひとつ)きしてやろう」と鐘を撞くと、鐘は「イノー、イノー(関西弁で『帰りたい』の意味)」と響き渡ったそうです。
怒った弁慶は「そんなに帰りたいなら帰れ!」と、谷底へ鐘を投げ捨ててしまいました。こうして鐘は三井寺に戻り、今も静かにその激動の歴史を伝えています。
【音の静寂】日本三名鐘「三井の晩鐘」の響き

環境省「残したい日本の音風景100選」の音色
弁慶の鐘とは別に、現在も撞かれている鐘があります。それが、「三井の晩鐘(みいのばんしょう)」です。
この鐘は、姿の美しさだけでなく、音色の美しさでも知られ、宇治の平等院、京都の神護寺と共に「日本三名鐘」の一つに数えられています。
静寂の中で聞く「余韻」
「近江八景」の一つにも選ばれているこの鐘の音は、夕暮れ時に聞くのが最も美しいとされています。ゴーン……と長く続く低い余韻は、琵琶湖の静けさと溶け合い、聞く人の心の澱(おり)を浄化してくれます。
実は、一回300円で実際に撞くこともできるんです。静かな境内に自分の撞いた鐘の音を響かせる体験は、忘れられない思い出になりますよ。
【歴史】不死鳥のように蘇る寺
幾多の戦火を越えた「不死鳥の寺」
三井寺の正式名称は「園城寺(おんじょうじ)」ですが、その歴史は苦難の連続でした。源平の争乱や南北朝の動乱などで、歴史上何度も焼き討ちに遭い、そのたびに蘇ってきました。
そのため、三井寺は「不死鳥の寺」とも呼ばれています。現在の国宝・金堂や三重塔は、豊臣秀吉や徳川家康らの支援によって再建されたもの。絢爛豪華な桃山文化の香りを残す建築が、静かな境内に華やかさを添えています。
まとめ:伝説と音色が織りなす静寂の聖地

お疲れ様でした!三井寺は、弁慶の伝説というユニークな一面と、日本一美しい鐘の音という静寂の一面を併せ持つ、滋賀屈指の名刹です。
【最終チェック】 傷だらけの鐘を見て歴史に触れ、晩鐘の音色に耳を傾ける。そんな「音と静寂」の対比を楽しめるのが、三井寺の本当の魅力です。
👑 三井寺の感動を、最高の休息へ!
この知識を、実際の旅の計画と、休息へ繋げましょう。


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