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こんにちは!
前回は、息を呑むような「紅葉のレッドカーペット」とアクセスと基本情報をご紹介しました。
しかし、不思議に思いませんか?
「これほどの絶景、誰が手入れしているの?」
実は鶏足寺は、昭和初期に無住(住職がいない状態)となった「廃寺」です。
通常、主を失った寺は荒れ果て、自然に飲み込まれ、朽ちていくのが運命。
けれど、ここは違います。
苔は美しく整えられ、お堂は守られ、仏様たちは今も微笑んでいます。
なぜか?
それは、ここを管理する地元・古橋(ふるはし)地区の人々の「愛」があるからです。
「寺は無くなっても、オラたちの仏様は絶対に見捨てねぇ」
この記事では、数百年にわたり、火災や時代の波から仏像を守り抜いてきた村人たちの「感動のドラマ」と、ひっそりと公開されている「国宝級の十一面観音」について深掘りします。
紅葉の赤が、ただの色ではなく、人々の「情熱の色」に見えてくるはずです。🍁🤝🙏
目次
🏚️ かつての大寺院。「鶏足寺」の隆盛と衰退

鶏足寺の歴史は古く、735年に行基(ぎょうき)によって開かれ、その後一旦荒廃するも、799年に最澄(さいちょう)が再興したと伝わります。
最盛期には、山中に何十ものお堂が立ち並び、多くの僧兵を抱える巨大な宗教都市でした。
しかし、歴史の荒波は容赦ありません。
戦国時代の争乱、江戸幕府による統制、そして明治時代の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)。
徐々に勢力を失い、ついには昭和8年、火災によって本堂が焼失。
ついに寺としての機能を失い、「廃寺」となりました。
本来なら、ここで歴史は終わるはずでした。
しかし、ドラマはここからが本番です。
🙏 命がけのバケツリレー。守られた「十一面観音」

本堂が燃え落ちたあの日。
村人たちは我が身を顧みず、炎の中に飛び込みました。
「ご本尊だけは!仏様だけは守らんあかん!」
彼らが必死に運び出したのが、現在も残る「十一面観音立像(重要文化財)」をはじめとする仏像たちです。
寺という「箱」は無くなりましたが、信仰という「魂」は、村人たちの手によって守り抜かれたのです。
現在、これらの仏像は、鶏足寺のすぐ近くにある収蔵庫「己高閣(ここうかく)・世代閣(よしろかく)」に大切に安置されています。
紅葉を見た後は、ぜひこちらにも足を運んでください。
村人たちが守り抜いた、優しいお顔の観音様が待っています。
🍁 なぜ「レッドカーペット」は生まれるのか?
鶏足寺の紅葉が「レッドカーペット」になる理由。
それは、「住職がいないから」という皮肉な事実と、「村人の絶妙な管理」の掛け合わせです。
- 毎日は掃除しない: 住職がいれば、毎日落ち葉を掃き清めてしまいます。廃寺だからこそ、落ち葉が積もります。
- 絶妙な手入れ: 放置すれば雑草だらけになります。村人たちは、紅葉が一番美しく見えるように、下草を刈り、環境を整えています。
つまり、あの絶景は「計算された放置」と「献身的な管理」が生んだ、奇跡のアートなのです。
入山時の「協力金」は、この美しい景観を守る村人たちへの「応援代」だと思ってください。
⛩️ 鶏足寺(歴史編)深掘りデータ
| 項目 | 詳細 |
|---|---|
| 宗派 | 真言宗豊山派(現在は廃寺) |
| ご本尊 | 十一面観音立像(重文) ※現在は「己高閣」に安置 |
| 管理者 | 古橋地区の住民有志(己高山保勝会) |
| 見どころ | 敷き紅葉、己高閣・世代閣の仏像群 |
【当ブログ独自評価】静寂度スコア
静寂度スコア:★★★★★ (5.0/5点)
※己高閣・世代閣エリア
【歴史考察】
観光客で賑わう参道とは裏腹に、仏像が眠る収蔵庫の周りは、凛とした空気が漂っています。
そこにあるのは、観光地としての華やかさではなく、何百年も変わらない「祈り」の静けさ。
村人たちの温かい愛に包まれた仏様の前で、手を合わせてみてください。心が洗われます。
まとめ 🗺️
旅の終わりに:赤色に込められた想い
いかがでしたか?
鶏足寺の美しさは、自然だけが作ったものではありません。
「ここを守り抜く」という、人間の強い意志が作り上げた景色でした。
【最終チェック】
紅葉の写真を撮ったら、ぜひ心のなかで「守ってくれてありがとう」と呟いてみてください。
その一枚は、きっと特別な思い出になるはずです。
👑 鶏足寺周辺グルメでほっこり!
心温まる歴史に触れた後は、お腹も満たしましょう。
長浜北部・木之本エリアには、あの有名な「サラダパン」の本店や、美味しい郷土料理があります!


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