【滋賀】日吉東照宮はなぜここに?日光の雛形となった権現造りと天海の謎

滋賀 日吉東照宮 本殿画像 滋賀秘境の社寺巡り

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滋賀 日吉東照宮 境内内画像

こんにちは!
前回アクセス基本情報では、日吉東照宮が「日光東照宮の先輩(雛形)」であるとお話ししました。

しかし、ここで一つの大きな疑問が浮かびませんか?

「なぜ、わざわざ滋賀県なのか?」

徳川家康公の本拠地は江戸(東京)であり、隠居したのは駿府(静岡)。
滋賀県(近江)は、徳川家にとってはアウェイな土地のはずです。

それなのに、なぜ日本最高峰の技術を結集して、この地に豪華絢爛な東照宮を建てたのか。
そこには、家康の知恵袋と呼ばれた怪僧・天海(てんかい)による、恐るべき「国家鎮護(こっかちんご)の仕掛け」が隠されていました。

「滋賀を制する者が、霊的にも日本を制する」

この記事では、単なる建築美の解説にとどまらず、京都と江戸を守るために滋賀が担った「重大な役割(鬼門封じ)」について深掘りします。
これを読めば、あなたは確信するはずです。
「やっぱり、日本の歴史の中心は滋賀だったんだ」と。⛩️👹📜


👹 天海僧正の壮大な風水計画。「鬼門」を封鎖せよ

京都と日吉東照宮の位置関係イメージ図画像

画像はイメージです。

なぜ、滋賀の坂本に東照宮が必要だったのか。
その答えは、日本の首都・京都の「守り」にあります。

古来より、都の北東(鬼門)の方角は、鬼が出入りする不吉な方角とされてきました。
平安京(京都御所)から見て、その鬼門にあたるのが「比叡山」です。

【鉄壁の守備ライン】

歴代の権力者は、このラインを徹底的に強化しました。

  • 第1防衛ライン: 比叡山延暦寺(仏教の力で守る)
  • 第2防衛ライン: 日吉大社(神道の力で守る)

ここに、徳川家康の知恵袋・天海僧正(てんかいそうじょう)が、最後の仕上げを加えます。

「ここに家康公の霊廟(東照宮)を置けば、徳川の威光で京都を永遠に支配・守護できる」

天海は、江戸城の鬼門に「日光東照宮」を置き、京都の鬼門に「日吉東照宮」を置きました。
つまり、日本の東西の首都は、どちらも「東照宮」によって霊的に守られているのです。
滋賀県にあるこの小さな神社は、日本の国家鎮護システムの重要な「西の要(かなめ)」だったのです。


🏗️ これぞプロトタイプ。国宝・日光への「実験」

滋賀 日吉東照宮 本殿画像

日吉東照宮の建築様式は、「権現造り(ごんげんづくり)」と呼ばれます。
これは、以下の3つの建物を「工」の字型に連結させたものです。

  1. 本殿(ほんでん): 神様がいる場所(一番奥)
  2. 拝殿(はいでん): 人が拝む場所(手前)
  3. 石の間(いしのま): 両者をつなぐ低い建物

1634年に再建されたこの日吉東照宮の社殿は、そのあまりの完成度の高さに、幕府の建築家たちが驚嘆しました。
「この様式を、そのまま日光へ持って行こう」

そして2年後の1636年、日光東照宮の大改修(寛永の大造替)が行われ、現在のあの豪華な姿になったのです。
もし、滋賀での「実験」が失敗していたら、世界遺産・日光東照宮の姿は全く違うものになっていたかもしれません。
ここは、日本建築史の転換点となった場所なのです。


🎨 豪華絢爛!極彩色の彫刻に込められた意味

滋賀 日吉東照宮 本殿アップ画像

境内に入ってまず目を奪われるのが、国指定重要文化財の「唐門(からもん)」と、社殿を囲む「透塀(すきべい)」です。
400年前の色鮮やかさが残る彫刻には、一つ一つ意味があります。

  • 獅子(しし): 邪気を払う守り神。
  • 鶴(つる): 長寿と繁栄の象徴。

しかし、日光にある有名な「眠り猫」や「三猿」のような派手な動物はいません。
ここにあるのは、もっと格式高く、静謐(せいひつ)な美しさ。
黒漆塗りの柱と、極彩色の彫刻のコントラストは、派手さの中にも「侘び寂び」を感じさせる、滋賀らしい上品な仕上がりです。

【撮影ポイント】
唐門の彫刻は、太陽の光が当たると黄金に輝きます。
晴れた日の午前中が、最も美しく撮影できるゴールデンタイムです。


⛩️ 日吉東照宮(歴史編)深掘りデータ

項目 詳細
創建者 天海(慈眼大師)
御祭神 徳川家康公、日吉大神、摩多羅神
歴史的役割 京都御所の鬼門封じ、日光東照宮の雛形
関連人物 徳川家光(再建に関与)

【当ブログ独自評価】静寂度スコア

静寂度スコア:★★★★★ (5.0/5点)

【歴史考察】
日光東照宮は、世界中からの観光客でごった返していますが、ここは違います。
流れる空気は、400年前のまま。
天海僧正がここに立ち、京都を見下ろしながら「これで徳川の世は安泰だ」と呟いた……そんな気配すら感じられる場所です。
歴史と対話したいなら、間違いなくこちらが「本家」以上の体験をもたらしてくれます。


まとめ 🗺️

旅の終わりに:滋賀こそが裏の主役

いかがでしたか?
派手な日光の影に隠れがちですが、日吉東照宮こそが、徳川の霊的支配の要であり、建築技術の源流でした。
「滋賀なくして、江戸の繁栄も日光の美もなかった」
そう言っても過言ではないのではないでしょうか?。

【最終チェック】
この場所で感じる風は、ただの風ではありません。
歴史を動かしてきた人々の「意志」そのものです。是非チェックしてみて下さい。


👑 日吉東照宮の後は、門前町で名物そばを!

歴史ミステリーでお腹いっぱいになったら、次は本当のお腹を満たしましょう。
坂本エリアは、石積みの町並みと、比叡山延暦寺御用達の「そば」が有名です!

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